北海道民放小史 ラジオ編(4) ラジオを支えた地元広告主。
;北海道初の民放である[北海道放送]が誕生した昭和26年、そしてラジオ放送がスタートした昭和27年当時の札幌市は、近隣町村との合併に加えて、1950年勃発した[朝鮮動乱]に伴う[特需ブーム]もあり、人口の集中化傾向のなかで大きな発展傾向にありました。上図は、札幌市の人口動態と全道人口に対する割合を示したグラフですが、このような人口増大を反映した札幌の産業、商業活動は、発足間もない民放にとっては主要な広告マーケツトでもありました。当時から札幌市の産業構造は第三次産業のウエイトが高いことが特徴的でした。札幌商工会議所編[50年の歩み]によると、民放の草創期である、1951年(昭和26年)から53年にかけては、個人消費も堅調で、電気製品、カメラ、スクーターなどの売れ行きが好調で有ったと記載されています。
このような経済環境の中で主要な地元広告主の一つは[デパート]でした。民放発足当時の札幌市のデパートは、[丸井今井][三越札幌支店][五番館]の三店のみでした。これらのデパートは、民放誕生以前も活字メディア広告の主要な広告主で有りましたが、ラジオCMの出現によって宣伝方針にも大きな変化が見られるようになりました。丸井百貨店は古い歴史を持っていますが、本格的なデパートとして誕生したのは、1915年(大正5年)10月1日です。1957年7月には、是までの株式会社丸井今井商店から株式会社丸井今井へと改称されています。;三越札幌支店は、1932年5月(昭和7年)に十字街4丁目(現在の南1条4丁目)京屋呉服店跡に地下1階地上6階のビルとして新築開店しました。三越も我が国デパート界の老舗で1673年の[越後屋]に始まります。1928年には三越呉服店の商号を[三越]と改めました。 一方[五番館]は、当時は[札幌駅前五番館]として多くの市民や近郊からの買い物客で賑あいを見せていました。こちらも前身は[札幌興農園]でしたが、1912年に現在地で百貨店形式の店舗で開業しました。その後1958年には本館を竣工して、丸井、三越と並んで札幌の三大デパートとして、民放を支える主要な広告主でもありました。[五番館]の名称は、[初めて札幌に電話が開通し、前年建築された興農園に[五番]の電話番号が架設された。この建物は横浜外人居留地の煉瓦造洋館に模して作られたが、横浜の居留地では[何番館]と称していたので、電話番号に因んで[五番館]と名付けた]と言われています。
これらの三大デパートに加えて、1952年(昭和27年)12月15日には札幌の玄関口である国鉄(現JR)札幌駅舎も近代的な装いで開業し、これにあわせて同月の26日には札幌で始めての地下商店街[札幌ステーションデパート]がオープンしました。[年中無休]のキャツチフレーズが評判を呼んでいました。現在の札幌駅南口地下ショツピングゾーンのはしりです。これらのデパート群と、札幌の商店街の老舗である[狸小路商店街]も当時の民放を支えた主要な広告主でした。
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ご存じの北大のポプラ並木です。


