2012年5月20日 (日)

札幌の姉妹都市(7) 記念のモニューメント

札幌市と姉妹都市提携を結んでいる各都市についてパネルで紹介してきましたが、札幌市内には都市提携を記念したモニューメントが数多くあります。
豊平川に架かる[ミュンヘン大橋]は、札幌市とドイツ[ミュンヘン市]との姉妹都市15周年を記念して平成3年(1991年) 完成した橋です。この橋の特徴は[斜張橋]と呼ばれる美しい橋で、夜になるとライトアップされ美しい姿を表わしています。
橋長171,7m、幅長22,0mで、この橋に設けられているバルコニーには、ミュンヘン市の有名な建物を描いた片面3面のレリーフが飾られています。
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下図の木を飾ったモニューメントはドイツの民俗で[マイバウム]です。このマイバウムは、高さ25メートルで姉妹都市ミュンヘンから贈られ、1976年(昭和51年)に設置されましたが老朽化したため2001年(平成13年)立て直されました。
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百合が原公園の[ミュンヘン庭園]
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現在の幌平橋は4代目で平成7年(1995年)に建設されました。この橋の歩道部分は札幌市の姉妹都市であるアメリカの[ポートランド市]に因んで[ポートランド広場]と名付けられています。この広場には両市の提携を表徴する様なレリーフ、モニユーメントなどが飾られ、広場は市民の憩いの場として賑わいを見せています。この橋の上・下流の河川敷には沢山の花壇が設置され、様々な薔薇の美しさが河畔を散策する人々の目を和ませてくれます。
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下図の西12丁目は、30種類のバラが咲く庭園[サンク・ガーデン]です。
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2010年、12丁目の入口に札幌との姉妹都市[瀋陽市]との提携30周年を記念してコーナーが設置されました。瀋陽市から送られた薔薇の植え込みが二ケ所あり、中央に両国語で記載された提携記念パネルが設置されています。
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百合が原公園の[瀋芳園]
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2012年5月13日 (日)

札幌の姉妹都市(6) 大田市

D01韓国のほぼ中心部、周囲を山々に囲まれた広大な盆地に位置します。[カブチョン、ユドウチョン、デジヨンチョンの三つの大きな河川に沿って切り拓かれた都市です。韓国第一の[科学技術都市]として発展を続けています。

大田市街地
D02
エキスポ科学公園
'93大田(デジョン)世界博覧会開催を記念するテーマーパークです。周辺には研究機関や教育機関が並び、名実ともに科学の中心地になっています。
D03
大田の街並み
エキスポ科学公園のシンボル[ハンビツ塔]と、カブチョンの向こうに広がる大田(デジョン)の市街地。
D04
エキスポ橋の夜景
甲川(カブチョン)に架かるエキスポ橋は美しくライトアップされます。
D05
大徳(テドク)研究開発特区
先端科学技術の研究機関や大学が集まる韓国科学の中心地、未来の科学者を育てる場ともなつています。
韓国航空宇宙研究院
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ボムンサンの緑陰
大田八景の一つでボムル(宝物)が隠されていると云う伝説から[ボムルサン(宝の山)と呼ばれ、今ではボムンサンとなりました。大田の中央に位置し市民から愛されている自然公園です。
D07
テチョンホ
澄んだ湖と周辺の山々が美しく調和した人造湖です。湖畔の道路はドライブコースとして人気を呼んでいます。
D08
ヴアム史蹟公園
朝鮮王朝時代の有名な儒学者宋詩烈(ソン・シヨル)縁の地、幾つかの建物を復元して史蹟公園となっています。
D09
崇賢(スンヒョン)書院
D10朝鮮王朝の時代に大田地域で初めて建てられ、数々の先賢を育んだ書院です。

同春堂(トンチュンダン)
D11朝鮮王朝孝宗(ビョジョン)の時代に学問研究の場として建てられたもので大田広域市有形文化財に指定されています。

市民の食生活
大田は古くよりあらゆる地域の人々が共生した町らしく、全国各地の料理を取り入れてユニークな蜀文化を発展させてきました。
D121トルソッパ(石焼きごはん)

D122ミンムルコギ・メウンタン(川魚の辛味よせ鍋)

D123スッユルン冷麺

D124ムック(ドングリの寒天)

大田(デジョン)ワールドカップ競技場
2002年に開催された2002FIFAワールドカップ韓国/日本の会場として建設避けたサッカーせんようのスタジアムです。
D13
儒城(ユソン)温泉
百済時代に発見された歴史ある温泉地、観光ホテルや総合休養施設の他、無料の足場体験場もあります。
D14
孝文化プリ祭り
[孝]をテーマとし、先祖の精神を[見て、感じて、体験]する祭りです。
D15
市場の賑わい
大田駅周辺の中央市場を始め[ユソン五日市場][シンタンジン五日市場]など伝統的な市場が数か所あり市民で賑わいつています。
D16
大田の地下鉄
D17大田市でも地下鉄が市民の重要な交通手段の一つです。

文化と祝祭の都市大田市
大田市は、歴史的伝統行事から先端科学を体験できる科学祭典まで一年中様々なお祭りが開催され市民に愛されています。
大田国際熱気球祭(10月)
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クムドリサンエンスフエスィバル(4月)
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トンチュンダン文化祭(4月)クズク木神祭
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2012年5月 3日 (木)

札幌の姉妹都市(5) ノボシビルスク市

N01
[ノボシビルスク市の概要]
ロシア連邦ノボシビルスク州の州都で、西シベリアの経済・文化・学術の中心地。
▼ 人口約150万人。
▼ 面積477平方キロメートル。
▼ 国立オペラ、バレエ劇場をはじめとする6つの劇場がある。郊外には、ロシア連邦科学アカデミー・シベリア支  部の学術センター[アカデムガラドフ]がある。
▼ 平成2年6月3日姉妹都市提携。
郷土資料館
ノボシビルスク市は。ロシア有数の大都市ですが1993年に開基100年を迎えたばかりの若い都市でです。
N02
教会・木造家屋
市内には、教会やシベリアの古い木造家屋などロシアの伝統的な建築様式による建物も遺されています。
N03
ノボリビルスク国立オペラ・バレエ劇場
N041
N042
[シベリアのボリショイ劇場]と呼ばれる市のシンボル的存在です。
サーカス
ノボシビルスク市には常設のサーカスがあります。
N051
N052
N053
地下鉄
1986年に運行を開始した地下鉄のホームです。
N06
雪像
厳しい大陸性気候で気温は-30度前後まで下がることもあります。
N072
スキーをはいたジエットマロース
寒い冬が訪れると[ジエットマロース(マロースじいさん)が来る]などと云います。
N073
シベリア鉄道ノボシビルスク駅
シベリア最大の鉄道ターミナルとして交通の要所になっています。
N081
オビ川鉄橋
N082
オビ川・オビ海
多くの市民がオビ川や人造湖オビ海で、夏は水遊び、冬はヨット等を楽しみます。
N093

N091

N092
北海道シベリア文化会館
両国間の文化の懸橋としての役割が期待されています(1996年完成)。
N101
N102N103
アカデムガラドフ
市の中心街から約30キロ離れた森林の中に30以上の研究施設や研究者の住宅が建ち並びロシア有数の学術センターを形成しています。
数学研究所
N111
研究者の為の住宅
N112
人々の暮らし
ロシアの一般的な家庭はアパートに住んでいます。自由な時間には散歩をしたりチエスをしたりしてくつろぎます。
N121

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2012年4月23日 (月)

札幌の姉妹都市(4) 瀋陽市

S01中国東北中原南部に位置する瀋陽は、遼寧省の省都です。山がなく平坦な地形で、南は運河が北には新開河が街を挟むように流れています。

S02
この写真は、故宮鳳凰楼です。
故宮は、1625年に完成した清朝の宮殿で、広大な敷地に90以上の建物が並んでいます。
S03
故宮[大政殿]
S04
[無垢淨光舎利塔]は、1044年に建設され1985年之補修の際に中から黄金の仏像経典が発見されました。
S05
[東塔]は、街を守る様に東西南北に一つづつ置かれた清都四塔の一つです。
S06
[北陵公園]は、市の北陵部に位置する中国東北地方最大の公園で[昭陵(清朝大宗ホンタイジの陵墓)があります。
S07
[北陵公園芳秀園]
S08
[東陵公園]は、市の東部に位置する広大な公園で、清朝の大祖ヌルハチの陵墓があります。
S09_2
[福陵]
S10
[南運河帯状公園]は、全長145kmの樹木で彩られた美しい公園で、1985年完成しました。
S11
[瀋陽桃仙空港]
S12_2
[瀋陽駅前]
S13_2
[テレビ塔]
S14市中心部に聳え立つ高さ305.5メートルの塔。

[大原街]は、瀋陽駅近くにあり、中国では珍しい歩行者天国が約1㌔続いています。

S15
[自転車通勤風景]やはり市民の足は自転車、通勤時間には180万台もの自転車の流れが続きます。

S16
[早朝の風景]朝食をとる前に大極拳で体の調子を整える人々。
S17
[南湖公園]は、市の南部にある水と緑の豊富な公園です。
S18
[運河]瀋陽の名は、[瀋水(運河の古名)の日の当たる側にある街]という意味を持っています。
S19
[中山公園の遊園地]
S20
[秧歌](大衆芸能)春節(旧正月)には賑やかに秧歌(ヤングー)を踊ります。
S21

次回は[ノボシビルスク市]です。

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2012年4月13日 (金)

札幌の姉妹都市(3) ミュンヘン市

ミュンヘン市との姉妹都市締結は、1972年8月です。
ミュンヘン市は、ドイツバイエルン州の州都でアルプスの山々から湧き出る水を源とするイザール川が市内を貫いて流れています。緑の街並みが旧市街を中心に広がり、伝統と現代が共存する国際都市です。
M2
新庁舎のグロツケンシューピール(仕掛け時計)
毎日11時になるとドイツ最大の仕掛け時計の鐘が鳴り、等身大の人形が観光客を歓迎してくれます。
M3
新市庁舎[マリエン広場]
1867年から1908年にかけて建てられた新市庁舎マリエン広場は、見どころ一杯のミュンヘンの中心です。
M4
マリエン広場・旧市庁舎
広場中央にはリア像が、写真後方の中央の建物は15世紀に建てられた旧市庁舎です。
M5
ミュンヘン市街
ミュンヘンの南には雄大なアルプスの山脈が連なります。
M6
歩行者天国
[カールス広場]から[マリエン広場]までの歩行者天国では古都の雰囲気が満喫できます。
M7
聖母教会の塔
聖母教会は、ミュンヘンのシンボル、玉葱型の二つの塔が親しまれています。手前左手がミュンヘン市旗、右はバイエルン州旗。
M8
将軍堂
芸術を愛したルートビイヒ一世が建てさせた古典主義建物の一つです。
M9
テアテイーナー協会
[オデオンス広場]にある壮大な教会は17世紀イタリア風バロック洋式。
M10
ニンフエンブルグ城
17世紀に盛んにつくられたバロック様式建築物の代表的存在。
M11
ビアガーデン
麦酒の街ミュンヘン、街のあちこちでデビアガーデンが開かれます。
M12
オクトーバーフエスト
毎年9月はじめから16日間に亙って開かれる世界最大の麦酒祭り、大量の麦酒が消費される。
M13
カールス広場
何時も賑やかなカールスひろば、写真の後方のたてものは、1879年完成の裁判所。
M14
ヴィクトリアリエン広場
マリエン広場の近くにあり夏にはビアガーデンが開かれます。
M15
ミュンヘン空港
1992年に開港した新空港は、ミュンヘンの新しい空の玄関です。
M16
ミュンヘン新見本市会場
ドイツ最大の産業都市であるミュンヘンは、ヨーロッパ経済の中心の一つとなつています。1988年2月オープン。
M17
オリンピック公園
1972年に夏のオリンピックが開催され、同じ年に冬のオリンピツクが札幌で開催された事が姉妹都市締結のきっかけとなりました。
M18
次回は、中国瀋陽市です。

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2012年4月 3日 (火)

札幌の姉妹都市(2) ポートランド市

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イラメット川から望むポートランド中心街。
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ポートランド市は、アメリカの西海岸オレゴン州の北西部に位置し、ウイラメット川とコロンビア川の合流地点に拓けた港湾都市です。市内の大部分は平地ですが、郊外にそびえるワッド山(3,370m)を望む景観が特徴的です。

P3
トム・マッコール・ウオーターフロントパーク
ジョギングやウイラメット川の景観を楽しむ人たちに愛されています。
P4
リバーブレイス・マリーナ
ポートランド市の中心を流れるウイラメット川に面したリバーブレース・マリーナ、ショツピングや食事を楽しむ事も出来ます。
P5
バラ園
ワシントンパーク内のバラ園、ここからは市の中心街の背後にフッド山の雄姿を一望出来ます。
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ポートランド市郊外に聳えるフツド山
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市中心部から離れた丘の上に広がるワシントンパーク
その中では日本庭園を楽しむ事も出来ます。
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ポートランド市中心街
ポートランドは、コロンビア川とウイラメツト川の合流点を中心に発展した港湾都市で、ウイラメツト川西岸に中心街が広がります。
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オレゴン・コンベンションセンター
ウイラメット川東側に位置するコンベンションセンターの正面入り口前には札幌市より寄贈した梵鐘が設置されています。
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パイオニア・コートハウス・スクエア
市の中心街にある市民の憩いの場です。
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新市庁舎と女神像
新市ちょうしゃの正面入り口の上からいつも市民を見守っています。
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市電の[MAX]
市中心街では、無料で利用できる路面電車でMAXの愛称で親しまれています。

<次回予告> ミュンヘン市

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2012年3月21日 (水)

札幌の姉妹都市(1) Sapporo Sistercities Street

現在札幌市は、ポートランド市、ミュンヘン市、瀋陽市、ノボシビルスク市、大田広域市と姉妹都市提携を結んでいます。札幌駅北口の歩行者通路は[Sapporo Sistercities Street]と名付けられ各姉妹都市を紹介するパネルが展示されています。
S02
地下歩道には、東・西二本の通路がありこの間にコンコースが設けられています。下の写真は、東通路からコンコースを俯瞰したものです。
S03
通路には、各都市のプロフィールを紹介したパネルが展示されています。
(註)紹介コメントは、パネルに記載されたものを引用致しました。
ポートランド市
S04
● アメリカオレゴン州の都市で、ウイラメット川とコロンビア川の合流点に位置する。
● 人口約58万人。
● 面積約333平方キロメートル。
● [ローズシティ]の名で親しまれており、毎年6月には世界的に有名な[バラ祭]が開催される。
● 昭和34年11月17日、姉妹都市提携。
ミュンヘン市
S05
▲ ドイツ・バイエルン州の州都で南ドイツの政治、文化の中心地。
▲ 人口約130万人でドイツ第三の都市。
▲ オペラ・演劇など優れた芸術で有名、秋には世界最大のビールまつり[オクトーバーフエス]が開催される。
▲ 昭和47年8月28日姉妹都市締結。
瀋陽市
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■ 中国東北地方・遼寧省の省都。
■ 人口670万人、東北地をう最大の重工業都市。
■ 面積12.900平方キロメートル。
■ 貿易港[大連]と結ぶ高速道路が完成し、遼東半島経済開放区の中心都市として今後の飛躍が期待される。
■ 昭和55年11月18日友好都市提携。
ノボシビルスク市
S07
▼ ロシア連邦ノボシビルスク州の州都で、西シベリアの経済・文化・学術の中心地。
▼ 人口約150万人。
▼ 面積477平方キロメートル。
▼ 国立オペラ、バレエ劇場をはじめとする6つの劇場がある。郊外には、ロシア連邦科学アカデミー・シベリア支  部の学術センター[アカデムガラドフ]がある。
▼ 平成2年6月3日姉妹都市提携。
大田(デション)
S08
■ 韓国忠清道地域の中心都市で、南北を結ぶ高速道路と鉄道が交差する交通の要所。
■ 人口約150マ人。
■ 面積約5009平方キロメートル。
■ 韓国でも採光の科学技術分野の研究所や教育機関、企業等が集積する先端科学技術都市。1993年に大田  世界博覧会(科学エキスポ)を開催。
■ 2010年10月20日姉妹都市提携。

次回から順次各姉妹都市を展示パネルで紹介致します。

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2012年3月13日 (火)

青函連絡船最終運航

3月13日は、青函連絡船が定時運航を終了した日です。今から24年前の昭和63年3月13日、長い歴史を刻んで北海道と本州のかけ橋となつていた連絡船も世紀の大工事と云われた青函トンネルの完成に伴い定時運行を終える事となりました。昭和63年3月13日、80年の定期運行最後の日、函館・青森で記念イベントが繰り広げられましたが、函館桟橋はこの企画に参加する全道各地がら集まった最終船に乗船する乗客と最後の見送りをする人たちで興奮の坩堝と化しました。偶々このイベントに参加した一人として当時の思い出をよみがえらせています。
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この日函館から青森には[羊蹄丸(上図)]、青森から函館には[八甲田丸(下図)が最後の運行をしました。
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当日函館から最後の定期船の乗客には記念として[乗船証明書]が渡されました。
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Seikan05また、翌14日には、青森から新しく開通した青函トンネルを通過して函館に戻ってきました。これから[海底を通過します]というアナウンスに乗客から拍手が沸き起こり感激のひと時でした。

青函連絡船の歴史
青函連絡船80年の歴史は、明治41年3月7日[比羅夫丸]の就航に始まりました。1ケ月遅れて第二船[田村丸]も就航して青森-函館間を4時間で結ぶ定期航路が開通しました。下の写真は[田村丸]です。
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その後この航路の客貨輸送量は年々増加したたため新しい船が建造され終戦前の連絡船は貨物船を含めて12隻でしたが、昭和20年の大空襲ですべてが沈没もしくは損傷しました。戦後新造船の建造が進められ昭和22年には第一船として[洞爺丸]が就航しました。
洞爺丸台風
昭和29年9月26日、台風15号(後に洞爺丸台風と呼ばれる)が津軽海峡を直撃し瞬間風速56メートルの風を受けて漂流、午後10冶40分頃、七重浜で座礁転覆して沈没しました。この台風で洞爺丸の他4隻の連絡船も沈没し、1.562名の犠牲者を出す大惨事となりました。
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当時の惨状を伝える北海道新聞です。


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2012年3月 3日 (土)

札幌の今昔(18) 開拓使麦酒醸造所からサツポロファクトリーへ

次回予告 3月13日更新 青函連絡船最終運航と青函トンネル開通
現在札幌の観光スポットの一つとして脚光を浴びている]サッポロファクトリー}は、ショツピング・アミューズメント・レストラン・ホテルなどを始め160余のショツプと施設が集大成された大型商業施設として平成5年にオープンしました。この場所は、明治9年現在のサッポロビールの前身である[開拓使麦酒醸造所]が創業した跡地です。
開拓使麦酒醸造所開業 1876年9月23日
村橋・中川が中心となって建設された開拓使麦酒醸造所は、明治9年開業することとなりました。翌年には開拓使のシンボルである北極星をマークとした冷製札幌ビールがはじめて世に送り出されました。開拓使麦酒醸造所は現在の札幌フアクトリーで、この麦酒が現在のサッポロビールの発祥となっています。
開業式の庭先に積まれたビール樽には[麦とホップを製す連者ビイルとゆふ酒に奈る]と書かれています。(所蔵 北大付属図書館)
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開拓使麦酒醸造所を語るとき忘れられないのは村橋久成と中川清兵衛の二人です。
Beer03村橋久成(1840年-1892年)は、薩摩藩島津家一門の出で、ロンドン留学後 1871年(明治4年)薩摩藩出身の黒田清隆次官がつとめる開拓使に採用され、ビール醸造所建設の責任者になりました。札幌にビール工場建設の生みの親とも言われ、知事公館前庭に胸像も建立されています。

Beer04中川清兵衛(1848年-1916年)は、越後国(現在の新潟県)に生まれ、ドイツに わたりベルリンビール醸造会社で2年間の修業後帰国、1875年(明治8年)開拓使麦酒醸造所の醸造人となり村橋とともに開拓使麦酒醸造所開業に大きな役割を 果たしました。

Beer02開拓使麦酒醸造所で製造された最初のビールは、冷製[札幌ビール]と名付けられ明治9年9月に発売されました。[冷製]とは、ドイツの製造法で低温熱成させたビールでこれらの技法は中川がドイツで学んだものでした。ラベルには、開拓使のシンボルである[北極星]が描かれ、このマークは現在もお馴染みのマークとなつています。

発展を続ける開拓使麦酒醸造所(明治14年当時 所蔵 北大付属図書館)
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[開拓使麦酒醸造所]から[札幌麦酒醸造所]へ
開拓使によつて開業した[開拓使麦酒醸造所]の創業時の生産高は年産100石に過ぎませんでしたが、その後、1880年(明治13年)には330石までになりその後も量産体制に努めてきました。明治15年には、農商務省の所管となり、次いで明治17年には[札幌麦酒醸造所]に改称されています。開拓使のビール醸造所は、1886年(明治19年)官営から民間に払い下げられ、大倉喜八郎の経営に移りサッポロビールの誕生となりました。Beer07この写真は、民間に移管後の明治25年当時の麦酒工場の外観です。

時代が進み、1900年代初期に入るとにはそれまで全国に数多く存在していたビール醸造所も淘汰され、札幌・日本・大阪(旭ビール)・麒麟麦酒の4大会社が激烈な競合状態にありました。このような状況下、日本麦酒の馬越恭平氏は明治39年、札幌、日本、大阪麦酒の三社を合併しシェア70%台の大日本麦酒株式会社を発足させました。下の写真は、大日本ビール株式会社札幌支店の工場外観です(所蔵北大付属図書館)。
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その後戦後に至り昭和24年9月大日本麦酒株式会社は[過度経済力集中排除法]の指定を受け、日本麦酒と朝日麦酒の2社に分割されました。日本麦酒は新発足後[ニッポンビール]の商標でスタートしましたが、愛飲家の要望に応えるかたちで商標を[サッポロビール]と改め、昭和39年1月社名もサッポロビール株式会社と改めました。同社はその後の増大する需要と新しい市場開発を目指して平成元年年6月恵庭市戸磯に年間生産能力11万6千4百キロリツトルのサッポロビール北海道工場を新設しました。
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この工場の新設に伴い永い歴史を誇っていた第一製造所を廃止しその跡地を企業パビリオンとして、都市機能を整備して複合的な街づくりを行う為これを[生活工房サッポロフアクトリー]と名付け、敷地面積41,217㎡の中に多面的な施設が網羅されました。
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この広場には、開拓使麦酒醸造所の思い出を留める建造物が保存されています。
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サッポロフアクトリー
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2012年2月22日 (水)

改めて島義勇を偲ぶ

昨2月21日の北海道新聞の夕刊に札幌市文化資料室の榎本洋介氏が[島 義勇 [開拓使判官]から[開拓判官]へ]と題するコラムを書かれています。偶々私も現在かって読んだ徳間文庫の林 房雄[西郷隆盛全11巻]を再読しており丁度No10に佐賀の乱で刑死した島義勇を始め黒田清隆等の記述があり、改めて札幌の開拓の歴史と重ね合わせて興味深く読んでいた処でした。下記の文字列をクリックして紙面をご覧ください。
島義勇 [開拓使判官]から[開拓判官]へ
改めて札幌本府の建設に尽くされた島義勇を偲びたいと思います。
Sima01_2島 義勇は、1822年(文政5年)佐賀藩士島市郎右衛門の長男として佐賀に生まれました。1869年(明治2年)開拓使が設置され、その年の9月20日には東久世二代目代長官と共に品川から函館に渡りました。開拓使判官としての島 義勇は、札幌の街造りに壮大な計画を練り溢れる情熱を持って実行に着手しましたが、そのためには莫大な費用が必要であり、費用の調達を巡って政府と対立した結果翌年3月志半ばにして札幌を去ることとなりました。札幌の街造りはその後継続されることになりましたが、その構想は随所に継承されています。


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北海道神宮の社殿前の一角に島 義勇の像が建立されています。
島は北海道に渡る際、神祗官から[開拓の三神]を授けられていました。これは、太政官訓令の中に、石狩に本府を建て、祭政一致の建前から神を祀る事を命令されていたためです。島は9月25日函館に着き、単身開拓三神を背負って陸路札幌に向かい10月12日銭函に到着して仮役所を設けました。銭函到着後直ちに先発隊を札幌に向かわせて神社予定地を見定め現在地に決定しました。この案内役を務めたのが渡守志村鉄一であり、宿泊所が吉田茂八宅でした。当初は仮宮の[札幌神社]でしたが1871年(明治4年)現在地に移されています。
Sima04札幌市役所のロビーに島義勇の像が建立されています。この台座には、島が札幌開発を着手するにあたつて、洋々たる前途にたいし[他日五州第一の都]と詠んだ詩が刻まれています。彼の構想に対する溢れる自信と期待が満ち満ちています。

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上図は島判官紀功碑]です。円山公園の裏参道の横に大きく聳えて建立されています。碑は高さ8メートル、幅2,2メートルで上段に書かれている[島判官紀功碑]は、義勇の旧藩主である鍋島直映が書かれたものです。碑文は第12代北海道長官中村純九郎が書かれたもので、札幌の街造りの基礎を築いた義勇の功績が記されています。


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