2009年11月 8日 (日)

北海道民放小史 ラジオ編(4) ラジオを支えた地元広告主。

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;北海道初の民放である[北海道放送]が誕生した昭和26年、そしてラジオ放送がスタートした昭和27年当時の札幌市は、近隣町村との合併に加えて、1950年勃発した[朝鮮動乱]に伴う[特需ブーム]もあり、人口の集中化傾向のなかで大きな発展傾向にありました。上図は、札幌市の人口動態と全道人口に対する割合を示したグラフですが、このような人口増大を反映した札幌の産業、商業活動は、発足間もない民放にとっては主要な広告マーケツトでもありました。当時から札幌市の産業構造は第三次産業のウエイトが高いことが特徴的でした。札幌商工会議所編[50年の歩み]によると、民放の草創期である、1951年(昭和26年)から53年にかけては、個人消費も堅調で、電気製品、カメラ、スクーターなどの売れ行きが好調で有ったと記載されています。
このような経済環境の中で主要な地元広告主の一つは[デパート]でした。民放発足当時の札幌市のデパートは、[丸井今井][三越札幌支店][五番館]の三店のみでした。これらのデパートは、民放誕生以前も活字メディア広告の主要な広告主で有りましたが、ラジオCMの出現によって宣伝方針にも大きな変化が見られるようになりました。丸井百貨店は古い歴史を持っていますが、本格的なデパートとして誕生したのは、1915年(大正5年)10月1日です。1957年7月には、是までの株式会社丸井今井商店から株式会社丸井今井へと改称されています。;三越札幌支店は、1932年5月(昭和7年)に十字街4丁目(現在の南1条4丁目)京屋呉服店跡に地下1階地上6階のビルとして新築開店しました。三越も我が国デパート界の老舗で1673年の[越後屋]に始まります。1928年には三越呉服店の商号を[三越]と改めました。 一方[五番館]は、当時は[札幌駅前五番館]として多くの市民や近郊からの買い物客で賑あいを見せていました。こちらも前身は[札幌興農園]でしたが、1912年に現在地で百貨店形式の店舗で開業しました。その後1958年には本館を竣工して、丸井、三越と並んで札幌の三大デパートとして、民放を支える主要な広告主でもありました。[五番館]の名称は、[初めて札幌に電話が開通し、前年建築された興農園に[五番]の電話番号が架設された。この建物は横浜外人居留地の煉瓦造洋館に模して作られたが、横浜の居留地では[何番館]と称していたので、電話番号に因んで[五番館]と名付けた]と言われています。
これらの三大デパートに加えて、1952年(昭和27年)12月15日には札幌の玄関口である国鉄(現JR)札幌駅舎も近代的な装いで開業し、これにあわせて同月の26日には札幌で始めての地下商店街[札幌ステーションデパート]がオープンしました。[年中無休]のキャツチフレーズが評判を呼んでいました。現在の札幌駅南口地下ショツピングゾーンのはしりです。これらのデパート群と、札幌の商店街の老舗である[狸小路商店街]も当時の民放を支えた主要な広告主でした。

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2009年11月 5日 (木)

北海道民放小史 ラジオ編(3) 民放開局とラジオコマーシャル。

昭和27年3月10日に、北海道初のラジオ放送がスタートしましたが、それまでNHKラジオ放送に永く親しんできた道民にとって、民放のスタートで初めて[ラジオコマーシャル]を耳にしました。民間放送は、NHKとは違って、放送に係る殆どの費用は広告主から頂く広告料によって賄われていますが、このことは未だ一般の聴取者には良く理解されていない時代でした。一方、広告主も初めてお目見えしたラジオコマーシャルに対する理解も低く、草創期の放送局の営業活動は、いかにして番組を提供してくれる広告主、又、ラジオコマーシャル(スポット放送)の広告主を開拓するかに大変な努力が払われました。
当時札幌では電柱に取り付けたスピーカーからコマーシャルを流す[街頭広告放声]が全盛時代で、[ラジオ放送]と[街頭放声]を又、[放送]が[包装]と混同されるなど、放送局の営業マンにとつては笑うに笑えない様な苦労の連続でした。このような草創期における民放も、聴取者の高い支持を受け年と共に認知度も高まりを見せこのことによって広告主のラジオコマーシャルの利用も増え、予想を遙かに超える収入を確保することが出来る様になりました。是には、昭和25年に勃発した[朝鮮動乱]の特需ブームも大変大きな要因となりました。
ラジオコマーシャルは、ラジオの聴取者にとっては勿論初めてですが、これを提供する広告主、広告の制作会社、ラジオ局にとっても初めての経験であり、このためよりよい[CM]を放送することが喫緊の課題でもありました。まだまだ関心の低い地元広告主を対象に、よりよいCM作りの契機を作ろうと昭和31年から[CMコンテスト]が実施されました。これは、参加スポンサーのセーリングポイントを生かしたCMを一般聴取者から募集する企画でした。この企画は昭和37年まで続けられましたが、ラジオコマーシャルが生活と密接したものと受け止められ、ラジオコマーシャルのその後の発展に多く貢献しました。ラジオ草創期のCMは、簡単なストレート形式の物が主流でしたが、年々制作手法が向上し、昭和32年のテレビがスタートした後はテレビと競り合う形でCMのスタイルが変化しています。これらの変化は特に東京、大阪市場では顕著で、中でも[シンキングコマーシャル]の全盛時代を迎え、我々にも懐かしいコマーシャルがラジオ・テレビを賑わせました。ラジオコマーシャルも、スタイルの変化と共に、2秒、10秒スポットなど多様化を見せています。民放開局数年で、コマーシャル(CM)はリスナーにもすんなりと受け入れられる様な状況になりました。民放ラジオは、このような形で船出しましたが、聴取者からは[身近な放送][親近感溢れた放送]と大変な支持を受けましたが、広告主サイドも、民放ラジオコマーシャルは、[繰り返しの効果を徹底的に活用できる割安なメディアである]という理解が深まり、このことが地元広告主ばかりでなく、これから北海道のマーケットを開拓しようとする中央広告主のラジオ利用を促進する原動力と成りました。このためにはどうしてもより多くの道民が聴く事が出来るような放送地域(放送エリア)の拡大が必要となって来ました。

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2009年11月 3日 (火)

北海道民放小史 ラジオ編(2) 民放初のラジオ局

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(写真は創立当初の北海道放送の本社です。現在の南1条西3丁目の藤井ビルにありました)

北海道で初めての民放が誕生したのは、昭和26年11月30日創立された北海道放送(HBC)です。我が国で民放が誕生したのは、昭和25年6月に成立した[電波三法]によるものです。この法律によって是までのNHKを改組して自由競争の原理に基づいて民間放送開設の道が開かれました。この結果、同年9月末には全国から民放開設の申請社が72社を数えましたが、翌26年4月2日、全国16社に対し第一次予備免許が交付されました。この中に北海道地区では、北海道放送が免許交付を受けています。
我が国で最初のラジオ放送は、昭和26年9月1日の新日本放送(大阪)と中部日本放送(名古屋)ですが、その後各地で順次開局した結果、26年末には全国で6社が開局しました。北海道放送は、昭和27年3月10日にラジオ放送を開始しました。此の後、昭和37年12月に2番目のラジオ局であるSTVラジオが開局するまでは、民放ラジオとしてはHBCラジオ一局時代が続きました。北海道放送創立時の社屋は、市内南1条西3丁目のビルにあり、送信所は元村(現札幌市東区)にありました。

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開局当時の元村送信所です。現在は札幌市の東区ですが、当時は[元村]でした。札幌からの交通もままならず、特に冬期間の本社-送信所の往復には大変な困難が伴ったそうです。開局したものの財政的には大変厳しく、放送用のアンテナを建設するには当時のお金で3,000万円必要でした。このため同社の先人達は、トドマツ12本を繋いで80メートルの[木柱アンテナ]を建設しました。写真の後方に見えるのが[木柱アンテナ]です。このようなアンテナは全国的にも初めての試みで業界の話題を集めました。現在では考えられない想像を絶する苦労の連続でした。

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;この記念碑は、送信所があった場所に建立されています。現在は、札幌市北区北32条東15丁目で、大型店舗が建っていますが、その一隅に[民放第一声の地]放送記念碑が建てられています。

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2009年11月 1日 (日)

北海道民放小史  ラジオ編(1) NHKのラジオ放送始まる。

今日から[北海道民放小史]をスタートします。前半は[ラジオ編]後半は[テレビ編]としてメディア別にその歴史の過程を振り返って見たいと思います。
北海道の電波放送は、民放発足前はNHKラジオのみでした。永年NHKのラジオ放送に親しんできた道民にとって、新しい民放の出現はこれまでの放送のイメージを変え、身近なメディアとして実感させられたものです。次回からは、民放の生い立ちから成長、発展の歩みを綴りますが、その先輩格であるNHKも[北海道電波放送史]を考えるときの1ページに加えていただきたいと思います。

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北海道における最初のラジオ放送は、1928年(昭和3年)の札幌放送局から始まりました。放送前年の1927年、札幌に[日本放送協会北海道支部]が設立されました。この時の出資金は一口200円で638人、717口であったと記録されています。最初の放送は1928年6月5日AM11時でした。[NHK札幌放送局の歩み]によると、放送開始当日現在の聴取契約数は、2,851件という記録が残されています。NHK札幌放送局も開局当初は、演奏所は現在の中島公園に、送信所は[月寒]にありました。
1934年(昭和9年)に、日本放送協会の付則により札幌放送局は[札幌中央放送局]と改称されています。

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写真は、かっての送信所があった中島公園に建立されている[放送記念碑]です。NHKの当時を偲ぶ縁となつています。

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1959年(昭和34年)9月18日、大通のテレビ塔脇に[NHK札幌放送会館]が竣工し中島からこちらへ移転しています。

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2009年10月31日 (土)

いよいよ今日から[日本シリーズ]

今日からプロ野球の日本一を決める[日本シリーズ]が札幌ドームで始まります。日本シリーズで日本ハムと巨人が対戦するのは1981年以来という事です。日ハムも主力選手のダルビッシュが怪我のため出場が危ぶまれ、強敵巨人の優勢が伝えられる中のシリーズとなりますが、このような予想を覆したV達成を信じての熱戦を期待しています。かつて北海道では、[巨人][大鵬][卵焼き]という言葉に代表される様に、プロ野球では巨人フアンが圧倒的でした。日本ハムが本拠地を札幌に移してからは様相は一変して、いまでは日ハムフアンが圧倒的です。巨人には日ハムから移籍した選手が6人もいますが、日ハムにも巨人から移籍した選手が2名います。実戦もさることながらお互いの情報収集力も大きなポイントとなりそうです。ここ暫くは、連日一憂一喜の日々が続きそうです。

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2009年10月30日 (金)

[日ハム]優勝バレードに夢馳せて。

いよいよプロ野球の今年の日本一を決める日本シリーズが明日から札幌ドームで始まります。日本ハムは、3年ぶり3度目の日本一を目指して巨人と戦いますが、一足早くリーグ優勝パレードの実施が決定されました。このパレードも2006年の日本シリーズ優勝、2007年のリーグ優勝以来3度目になります。今年のパレードは11月22日午前11時に大通西6丁目をスタートしてススキノ交差点までの約1キロのコースで行われます。今年のパレードは日本シリーズに優勝して晴れ姿を見せて欲しいと夢を馳せらせています。

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(10月27日北海道新聞夕刊より)

想い出に残る2007年のパレード(2007年11月24日)を当時のテレビ放映画面から再現してみました。

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2009年10月29日 (木)

[円山]を眺めて思うこと。

[円山]は、札幌を代表する山です。我が家の窓越しに毎日眺めている山で標高226メートルで、世界的にも貴重な動植物も多く、藻岩山と並んで天然記念物に指定されています。大都会の中で小島の様に浮かんでいる姿は札幌の象徴でもあります。昨日も晩秋の円山を眺めながら、我が家からは美しく見える円山も、南斜面が岩肌になつていることを思い出し、地蔵慶護著[北海道 身近な歴史紀行]を読み返して見ました。

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この写真が岩肌です。

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先程紹介した著書には大凡次の様に書かれています。
[明治2年に北海道に開拓使が置かれ本府を札幌と決め街作りが始められたが、大通を中心に南は商店街、北を官庁街とするように計画が進められた。この本府を防火の観点から石才を使うこととした。明治5年に円山の頂上で良質な石才を発見し採掘が始められた、今見られる岩肌は当時の切羽と岩石を転がした跡である]。明治5年7月開拓使本庁舎の建設が始まり円山の石材採掘も本格化した。しかしこの年太陽暦の採用で12月が2日間となり採掘もこの年で中止されることとなつた。
採掘が中止されたのは開拓使が樹木の伐採を禁じ、石材の採掘も中止された。この後明治6年に現在の石山地区で軟石が発見されこちらの採掘が本格化した。
現在あの美しい緑一杯の円山の姿を見ることが出来るのは、当時の為政者の英断であり、改めてその決断に敬意を表したいと思います。今でこそ自然保護と環境問題が大きな関心事になっていますが、この時代既に自然保護に対する高い見識をお持ちであった先人達の教訓をしっかりと心に刻んでいきたいものです。

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2009年10月28日 (水)

札幌の並木

昨日のblogで紹介した[北海道農業研究センター]の並木に感動しました。

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札幌の街にも素晴らしい並木が沢山ありますが、これまで歩いたなかで記憶に留まっている並木を再現してみました。

Namiki01ご存じの北大のポプラ並木です。

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[創成川]は、札幌中心部から北に流れていますが、札幌の北部[屯田]地区の川沿いには延々と並木が続き防風林の役割を果たしています。

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[真駒内地区]は、かつての放牛場ですが、戦後開拓が進み、現在は札幌の主要な住宅地です。札幌から支笏湖に通ずる幹線には、歴史を刻んだ巨木の並木が偉容を誇っています。

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札幌の東西に走る幹線[南郷通]の18丁目付近の様子です。中央分離帯に整然と連なる並木は素晴らしい景観を演出しています。

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2009年10月27日 (火)

晩秋の[歩こう会]

昨26日の札幌は黒雲に覆われ時々小雨がぱらつくお天気でした。シニアネットのお仲間との[歩こう会]が、地下鉄東豊線[福住]をスタートして[北海道農業研究センター(旧農業試験場)]構内を一周するコースで行われました。

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国道36号から構内に入ると両サイドをカラマツの大木が並ぶ直線コース。素晴らしい景観です。

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構内の紅葉も少し色あせているものの鮮やかな彩りです。

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北海道農業研究センターの研究棟です。 H26

研究棟広場から見る札幌ドームです。

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ドームの裏側は一面に広がる草地や畑地で北海道らしい雄大な眺めです。

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2009年10月26日 (月)

晩秋の豊平川河畔

昨25日は青空が広がり良いお天気に恵まれました。久方ぶりで豊平河畔を散策しました。

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遠くから望むミユンヘン大橋です。少しかすんでみえます。

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川辺のススキも寂しげに風に揺らいでいます。

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河畔から望む藻岩の山並みです。すっかり色づき錦秋の世界です。

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南22条橋の上から上流を俯瞰しました。水の流れも速く、寒々とした思いに駆られます。

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河畔の散策路にも人影はまばらで、ひとり野球場には子供達の元気な歓声が木霊しています。

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晩秋の寂しい佇まいの中で紅葉だけが一際暖かな空間を演出しています。

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