札幌の姉妹都市(7) 記念のモニューメント
札幌市と姉妹都市提携を結んでいる各都市についてパネルで紹介してきましたが、札幌市内には都市提携を記念したモニューメントが数多くあります。
豊平川に架かる[ミュンヘン大橋]は、札幌市とドイツ[ミュンヘン市]との姉妹都市15周年を記念して平成3年(1991年) 完成した橋です。この橋の特徴は[斜張橋]と呼ばれる美しい橋で、夜になるとライトアップされ美しい姿を表わしています。
橋長171,7m、幅長22,0mで、この橋に設けられているバルコニーには、ミュンヘン市の有名な建物を描いた片面3面のレリーフが飾られています。

下図の木を飾ったモニューメントはドイツの民俗で[マイバウム]です。このマイバウムは、高さ25メートルで姉妹都市ミュンヘンから贈られ、1976年(昭和51年)に設置されましたが老朽化したため2001年(平成13年)立て直されました。


百合が原公園の[ミュンヘン庭園]


現在の幌平橋は4代目で平成7年(1995年)に建設されました。この橋の歩道部分は札幌市の姉妹都市であるアメリカの[ポートランド市]に因んで[ポートランド広場]と名付けられています。この広場には両市の提携を表徴する様なレリーフ、モニユーメントなどが飾られ、広場は市民の憩いの場として賑わいを見せています。この橋の上・下流の河川敷には沢山の花壇が設置され、様々な薔薇の美しさが河畔を散策する人々の目を和ませてくれます。



下図の西12丁目は、30種類のバラが咲く庭園[サンク・ガーデン]です。

2010年、12丁目の入口に札幌との姉妹都市[瀋陽市]との提携30周年を記念してコーナーが設置されました。瀋陽市から送られた薔薇の植え込みが二ケ所あり、中央に両国語で記載された提携記念パネルが設置されています。



百合が原公園の[瀋芳園]




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韓国のほぼ中心部、周囲を山々に囲まれた広大な盆地に位置します。[カブチョン、ユドウチョン、デジヨンチョンの三つの大きな河川に沿って切り拓かれた都市です。韓国第一の[科学技術都市]として発展を続けています。












朝鮮王朝の時代に大田地域で初めて建てられ、数々の先賢を育んだ書院です。
朝鮮王朝孝宗(ビョジョン)の時代に学問研究の場として建てられたもので大田広域市有形文化財に指定されています。
トルソッパ(石焼きごはん)
ミンムルコギ・メウンタン(川魚の辛味よせ鍋)
スッユルン冷麺
ムック(ドングリの寒天)



大田市でも地下鉄が市民の重要な交通手段の一つです。

























中国東北中原南部に位置する瀋陽は、遼寧省の省都です。山がなく平坦な地形で、南は運河が北には新開河が街を挟むように流れています。











市中心部に聳え立つ高さ305.5メートルの塔。
















































また、翌14日には、青森から新しく開通した青函トンネルを通過して函館に戻ってきました。これから[海底を通過します]というアナウンスに乗客から拍手が沸き起こり感激のひと時でした。


村橋久成(1840年-1892年)は、薩摩藩島津家一門の出で、ロンドン留学後 1871年(明治4年)薩摩藩出身の黒田清隆次官がつとめる開拓使に採用され、ビール醸造所建設の責任者になりました。札幌にビール工場建設の生みの親とも言われ、知事公館前庭に胸像も建立されています。
中川清兵衛(1848年-1916年)は、越後国(現在の新潟県)に生まれ、ドイツに わたりベルリンビール醸造会社で2年間の修業後帰国、1875年(明治8年)開拓使麦酒醸造所の醸造人となり村橋とともに開拓使麦酒醸造所開業に大きな役割を 果たしました。
開拓使麦酒醸造所で製造された最初のビールは、冷製[札幌ビール]と名付けられ明治9年9月に発売されました。[冷製]とは、ドイツの製造法で低温熱成させたビールでこれらの技法は中川がドイツで学んだものでした。ラベルには、開拓使のシンボルである[北極星]が描かれ、このマークは現在もお馴染みのマークとなつています。
この写真は、民間に移管後の明治25年当時の麦酒工場の外観です。







島 義勇は、1822年(文政5年)佐賀藩士島市郎右衛門の長男として佐賀に生まれました。1869年(明治2年)開拓使が設置され、その年の9月20日には東久世二代目代長官と共に品川から函館に渡りました。開拓使判官としての島 義勇は、札幌の街造りに壮大な計画を練り溢れる情熱を持って実行に着手しましたが、そのためには莫大な費用が必要であり、費用の調達を巡って政府と対立した結果翌年3月志半ばにして札幌を去ることとなりました。札幌の街造りはその後継続されることになりましたが、その構想は随所に継承されています。
札幌市役所のロビーに島義勇の像が建立されています。この台座には、島が札幌開発を着手するにあたつて、洋々たる前途にたいし[他日五州第一の都]と詠んだ詩が刻まれています。彼の構想に対する溢れる自信と期待が満ち満ちています。